フランソワ1世 1515年―2015年 

2015年:ルネッサンス時代を讃えるフェスティバル・イヤー

フランソワ1世は、フランスのみならずヨーロッパ全体におけるルネサンス文化の興隆に大きく貢献した人物です。王の即位からちょうど5世紀となる2015年を記念して、ロワール渓谷では、特別文化シーズンを予定しています。この歴代のフランス王の中でもとりわけ名高い王の様々な顔を、彼の統治時代の重要な出来事とともに紹介していきます。今回のアニバーサリー・イベントは、16世紀という時代を体験し、当時の大変動のいくつかが私たちの生活に今も影響を及ぼしていることを再認識する良い機会となることでしょう。

芝居仕立ての見学ツアーや、コンサート、歴史スペクタクル、展覧会などの様々な催しが、今年の特別文化シーズンを彩ります。そして、歴史的、芸術的に重要なロワール渓谷の風景、とりわけその豊かな文化遺産が、西欧世界における思想と創造についてのルネサンスと啓蒙の時代の理想を体現していることに、改めて光を当てます。それこそがまさに、ロワール渓谷がユネスコの世界遺産への登録された基準のひとつでした。

ロワール渓谷のルネサンス

フランソワ1世の治世の初期は、弱冠20歳の若き王が、ヨーロッパ列強の王たちの間で頭角を現していったダイナミックな時期でした。王は、大きな戦争に参加する合間に、優れたいくつもの城を建設し、狩りをし、仮面舞踏会を開きました。彼が王位につく1世紀前から、宮廷はロワール渓谷にありました。イタリア・ルネサンス様式の建築を好んだフランソワ1世は、そこへ、初期ルネサンスと呼ばれる新たなスタイルを持ち込みました。シャンボール城やブロワ城など、彼が建てた野心的な城は、ゴシック・フランボワイヤン様式とイタリアからもたらされた要素を融合させたものです。彼の顧問や財政官たちは、新たな地位を得たことを強調するため、あるいは、王におもねるために、さらに大きな城、アゼ・ル・リドー城やヴィランドリー城などを建てました。

フランソワ1世の様々な≪顔≫

戦争王、騎士王、ヨーロッパの覇者

マリニャンの戦いでの勝利は、彼の治世の初期を特徴づけるものですが、常に勝ち続けたわけではありませんでした。16世紀初頭、フランソワ1世、カール5世、ヘンリー8世の3人の若き王が、ヨーロッパの運命をかけて争っていました。

建築王

シャンボール、ブロワ、アゼ・ル・リドー、アンボワーズ、ヴィランドリーなどのロワール渓谷の数多くの城が、彼の治世に建てられたか、あるいはこの時代に大きな影響を受けています。これらのロワール渓谷の至宝ともいえる城は、王の命令や、宮廷や王の取り巻きたちによって建てられたもので、フランチ・ルネサンスを代表するものです。庭は徐々に広くなり、城にとって欠かせない要素となりました。水は、かつて防衛システムの一部でしたが、徐々に楽しむためのものとなり、自然のままの形で残されたり、活用されたり、シャンボール城のように運河が作られたりしました。

メセナ王

芸術をこよなく愛したフランソワ1世にとって、メセナ活動は彼の生き方そのものであり、彼の宮廷は、まさに芸術の中心でした。イタリアの偉大な芸術擁護者たちのように、彼は、フランス人や外国人の芸術家に古代の芸術作品のコピーを注文しました。彼のコレクションには、絵画のほか、タペストリーや彫刻、金銀細工なども含まれます。彼の芸術顧問はイタリア人でした。中でも最も有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、宮廷の誇りでした。フランソワ1世は、彼をアンボワーズ城の近くにあるクルーの館に住まわせました。現在のクロ・リュセ城です。ダ・ヴィンチは、1516年から1519年に亡くなるまでの晩年をこの館で過ごしました。≪王の第一画家兼建築家兼技術者≫という地位にあった彼は、壮大な建築プロジェクトや王が主催する贅沢な祭りの舞台装置を作りました。

行政王

フランソワ1世は、近代的な国家統治法を導入し、制度に大きな変革をもたらしました。絶対王政であり、彼の官吏たちはのちの大臣のいわば祖先です。王国の出納管理を担当する中央財務局や、今のコレージュ・ド・フランスの前身にあたる王立学問所を創設したのは彼です。彼は、フランスの司教を任命し、フランスでの法定納本制度(その国で流通するすべての出版物を強制的に国に提出させる制度)を制定し、フランス語をフランスの公用語に定めました。1515年から1527年にかけてのフランソワ1世の治世初期は、ロワール渓谷の歴史にとって最も華やかだった時代のひとつです。