©M. Fremont/CRT Centre Val de Loire - アゼ・ル・リドー城 ©F. Colin/CRT Centre Val de Loire - アゼ・ル・リドー城 アゼ・ル・リドー城 ©Henneghien//CRT Centre Val de Loire - アゼ・ル・リドー城 アゼ・ル・リドー城 ©C. Lazi/CRT Centre Val de Loire - アゼ・ル・リドー城
アゼ・ル・リドー城
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アゼ・ル・リドー、アゼ・ル・ブリュレ Azay-le brule

最初のアゼの中世の城は、1119年ごろに、アゼの最初の領主だったリデル(あるいはリドー)によって築かれました。リデルは、フランス国王フィリップ2世の騎士で、トゥールとシノンを結ぶ街道を防御するための要塞を建てました。

その後、1417年に、シノンへ向かう途中アゼに滞在したシャルル7世が、この地で勢力を持っていたブルゴーニュ人たちにそそのかされて、城を焼き 払います。350人の兵士と隊長が処刑されました。その後18世紀まで、村は、アゼ・ル・ブリュレ(焼け焦げたアゼ)という名前で呼ばれることになりま す。

ルネッサンスの傑作

15世紀に王の財務長官だったマルタン・ベルトゥロが、城の領地を買い取り、息子のジルに譲りました。ジルは、フランソワ1世の時代、1514年か ら1527年の間に、フランスの建築術と建築様式とイタリアの装飾を融合させようとして、現在の姿の城に建てなおしました。当時、この城は初期のフラン ス・ルネッサンスを代表する傑作建築の一つでした。ジル・ベルトゥロは、1529年に、城の建築半ばで、カンブレで死去しました

1528年6月、王は、領地を押収して、1533年に戦友で警備隊長のアントワーヌ・ラファンに贈りました。その後、革命勃発までの間、ラファン家とその子孫、ランサク家、ヴァセ家、クルトマンシュ家が、次々と城の所有者となります。

フランス革命後

1791年に、荒れたままに放棄されていた城は、三部会の貴族議員シャルル・ド・ヴィアンクール侯爵に売られます。1825年以降、彼の子孫によっ て、城の外側と内部の大規模な修復工事と整備が行われました。1845年には、それまで残されていたかつての要塞の巨大な塔に代わって、ルネッサンス様式 の塔が建てられ、1825年ごろに建てられた中国風の東屋は、1856年に北東の角の櫓に代わりました。これらの二つの塔が作られたことで、城は完成し、 現在私たちが知っている姿となったのです。

内部の空間も整備されて、通路も変更されました。1階には、図書室と大広間とビリヤード室が作られました。

1840年、城は、歴史建造物のリストに登録されました。

1899年、財政破綻により、1862年以降4人目の所有者であったシャルル・マリ・クリスチャン侯爵は、城と家具と540haの領地を、ラロッ ク・ラトゥール子爵に売り、子爵は、トゥールの元弁護士のアシル・アルトーのために城を解体します。アルトーは、城からできるだけの利益を得ようとした め、家具や美術品は数回にわたる売却で散逸しました。しかし、侯爵の姪が、最も貴重な絵画やデッサンを買い取ることに成功し、シャンティーイのコンデ美術 館や国立図書館に寄贈しました。

1905年8月11日に、国が買収した時には空っぽだった城は、すぐに、歴史建造物に指定されます。1907年以降、大規模な修復工事が行われました。

アゼ・ル・リドー城は、今では、国立建造物センターによって管理されています。

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