クロ・リュセ城 - レオナルド・ダ・ヴィンチ・パーク
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ある場所、ある歴史
古くはガリア= ローマ時代にその歴史を遡る建物の跡地に、ルイ15世の時代に造られたクロ・リュセ城は、ばら色のレンガと白い石灰石のコントラストが印象的なルネッサンス様式の館です。城館はそののち王が贔屓にした見習い調理人、エティエンヌ・ル・ルー Etienne-le-Loupの所有物となりました。
初代城主シャルル 8 世は1490年城の西翼にシャペルを建設、また、妻アンヌ・ド・ブルターニュ妃に礼拝堂を送りました。
1516年、フランス国王フランソワ1世の招聘でクロ・リュセ城へとやってきたレオナルド・ダ・ヴィンチは1519年5月2日にこの世を去るまで、その生涯の最後の3年間をこの地で過ごし、絵画の制作やさまざまな発明に没頭しました。
それまでイタリア、フランスなどさまざまな都市を転々としていたレオナルド・ダ・ヴィンチにとって、クロ・リュセの館は初めての私的な邸宅でした。トスカーナ出身のレオナルドが、彼の作品の中でも特に傑作といわれた3つの作品(「モナ・リザ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ」)だけをロバに担がせアルプス山脈をわたってクルーの館(現在のクロ・リュセ城)に辿りついたのは1516年のことでした。クロ・リュセの館にレオナルドを招聘したフランス国王フランソワ1世は「ここでは自由にものを考え、夢見て、制作活動に打ち込めるのです」といってレオナルドを迎えたと言われています。