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クロ・リュセ城 - レオナルド・ダ・ヴィンチ・パーク
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城館の見学

1516年、フランス国王フランソワ1世の招聘でイタリアからクロ・リュセ城へとやってきたレオナルド・ダ・ヴィンチは1519年にこの世を去るまで、その生涯の最後の3年間をこの地で過ごしました。

ルネッサンスを奨励したフランソワ1世はダ・ヴィンチを、「最高の画家であり建築家であり土木エンジニアである」 と持て囃し、クロ・リュセの館を与え、年金として700エキュ金貨を支払うなど最高の栄誉をもって迎え入れました。王、そしてその姉であるマルグリット・ド・ナヴァルの庇護のもと、レオナルドは完全なる自由を与えられ創作活動に励みました。

ダ・ヴィンチはフランソワ1世のためにさまざまな発明に没頭し、また多くの宴を企画するなど王に新たな物の見方や様式を提案しました。レオナルドは1519年4月23日クロ・リュ城で「死の確実なことと、その時期の到来が不明なため」という遺言状を口述し、5月2日に死去しました。臨終の床でレオナルドは、自らが望むような制作活動を全うできなかったが故に「神とこの世の人間の名誉を汚した」と涙ながら亡くなったと言われています。レオナルドのお気に入りの弟子のひとりであったフランチェスコ・メルツィ Francesco Melziは、レオナルドの兄弟に宛てて書いた手紙(1519年6月15日付け)の中で「師は臨終の秘跡を受けながらあの世に逝かれた」と記述しています。

城の内部へは見張り塔を登ってアクセスします。

レオナルド・ダ・ヴィンチの寝室

暖炉やルネッサンス様式のベッド、イタリア風の書き物机などが残っています。レオナルドはこの部屋の窓から、交友の深かったフランソワ1世が居住する城を眺めるのを特に好んだと言われています。 

書斎(仕事部屋)

レオナルドがこの時期に残した多くのデッサン画やクロッキーが物語るように、アンボワーズ滞在中の彼は、晩年、無数の作品の制作に取り組みました。書斎に残されたノートの中には、レオナルドの自筆で1517年5月の日付のメモ「アンボワーズへ降り立った日、クルー城(=クロ・リュセ城)」というコメントを目にすることができます。

宮廷画家として、レオナルドはクロ・リュセの地で、彼自身が携えた作品の仕上げに取り組みました。「洗礼者聖ヨハネ」は今日ルーヴル美術館に展示されています。

また、土木エンジニア、建築家としても活躍したレオナルドに、フランソワ1聖は数々の都市設計を依頼し、広大な宮殿設計やロモランタンの都市整備を命じました。

18世紀のサロン

美しい光の差し込むサロンは、ダ・ヴィンチがアトリエとして使用していた部屋で、ここで最晩年の作品といわれる「洗礼者聖ヨハネ」を完成しました。サロンの中には美しい家具調度品や金箔の施された木製のコンソールテーブル、ヴェネチアングラスのシャンデリア、オービュッソンのタピスリー、ルイ15世様式の椅子、陶器などが展示されています。

ルネッサンス様式の大ホール

レオナルドは、交友のあった著名人をこちらのレセプションホールに招きました。司教座風のゴシック式椅子や櫃、フランソワ1世の胸像、タピスリーやルネッサンス期のオブジェなど15世紀の装飾品で飾られた大ホールをご覧頂けます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの厨房

レオナルド・ダ・ヴィンチの料理人兼使用人だったマチュリーヌ Mathurineが主に使用していた部屋。当時のまま手つかずの姿で残されている暖炉、旧約聖書の場面が描かれた丸皿などの真鍮用品、座が低い背高椅子、15~16世紀のタピスリーなどをご覧頂けます。

模型展示室

階段を下ったところにある4つの展示室では土木・軍事エンジニアとして活躍したダ・ヴィンチの素顔をご覧いただくことができます。軍事技術や都市整備、機械学、飛行装置、水力などをテーマに発明された装置40点あまりが展示されています。 

 

ひとつの場所、ひとつの歴史

クルーの館(現・クロ・リュセ城)は1471年にルイ15世のお抱え調理人であったエティエンヌ・ル・ルーによって整備されました。バラ色のレンガと白い石灰岩で化粧張りをした美しいファサードは15世紀のルネッサンスの建築様式を今によく伝えています。1490年に初代城主シャルル8世によって城が所有された以降、この地は200年の長い期間にわたって国王の所有となります。王妃ルイーズ・ド・サヴォワはこの城館で二人の子、フランソワ1世とその姉マルグリット・ドナヴァルを育てました。

城館に招聘された最高の迎賓

言うまでもなく、レオナルド・ダ・ヴィンチはクロ・リュセの地に招聘されたもっとも偉大な人物といっても過言ではないでしょう。1516年、すでに60歳を過ぎていた高齢のレオナルドは故郷イタリアを後にし、彼の作品の中でも特に傑作といわれた3つの作品(「モナ・リザ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ」)と、いくつかのクロッキー画、エチュード画をロバに担がせながら、アルプス山脈を越えてクルーの館に辿りつきました。

1519年4月23日、「死の確実なことと、その時期の到来が不明なため」という遺言状を口述したレオナルドは、城館の秘書官であったギヨーム・ボローにそれを文書で残すことを依頼しました。翌5月2日、レオナルドは「どのような存在も虚無ではない」と述べ、臨終の秘跡を受けた後にクロ・リュセ城の自室で67歳の生涯を閉じました。

悲しみにくれたフランソワ1世が唯一口にした言葉は次のようなものであったといわれています。
「この人物の死は万人の喪の悲しみに値する、なぜなら同じような人物を再び生み出すことは不可能だからだ」

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