©C.Mouton/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©C.Mouton/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©P.Forget/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©P.Bousseaud/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©M.Berger/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©Henneghien/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城 ©P.Forget/CRT Centre Val de Loire - シュリー・シュル・ロワール城
シュリー・シュル・ロワール城
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シュリー・シュル・ロワール城の運命

築城にまつわる謎

シュリー城は3つの陸路と1つの水路が交わる地点に位置しています。ソローニュ地方とベリー地方の間の交易要所であったことから城の建築が促されたとみられるものの、築城時期がいつまで遡れるのかは定かでありません。

シュリーの地に確実に城があったと解るのは紀元後1000年のことです。しかしそこでも知られざる部分があります。配置や、正確な場所については解明されていません。

明かされた過去 

14世紀も終わりかけの頃、シュリーの新たな領主となったラ・トレモイーユ家がロワール河の往来の安全を守るため、建築家レイモン・デュ・タンプルに依頼して塔を建てさせました。この塔は現在も城の基礎部分を成しています。

1602年、ロズニー侯爵でアンリ4世の宰相を務めたマキシミリアン・ド・ベチュヌがシュリーの領主権を買い取りました。彼は当城の歴史上もっとも偉大な城主となります。

偉大なる城主

マキシミリアン・ド・ベチュヌMaximilien de Bethuneは1559年、イヴリーヌ県のロズニー・シュル・セーヌ城chateau de Rosny-sur-Seineにて出生。信仰はプロテスタントでしたが1572年の聖バルテルミーの虐殺を生き延びます。若い頃は後にフランス王となる アンリ4世の腹心として戦いに明け暮れ、王国の平定に尽くしました。

1598年以降は、30年にわたる宗教戦争で疲弊したフランスの再建事業に取り掛かります。宰相として、また王の忠実な友人として、マキシミリア ン・ド・ベチュヌはいくつもの責務に携わります(とくに財務卿の重責を担う)。彼は財務を安定させ、農業、商業、防衛、道路網を発達させました。

同時にド・ベチュヌは地元における勢力も築き上げ、1602年にシュリー・シュル・ロワール城を獲得し大規模な工事を遂行します。

1606年、マキシミリアン・ド・ベチュヌは栄華の絶頂を画します。この年、同輩衆(フランス王の直臣)の称号を持つ公爵となったのです。自ら治める封土の名前をとり、歴史上にシュリー公として名を残すようになります。

王の死(1610年)を受け、1611年には職務を退きます。その後は莫大な財産管理と回想録『王室財政』(1638年シュリーで刊行)の執筆に専 念します。マキシミリアン・ド・ベチュニュはユール・エ・ロワール県にある自身の所有するヴィルボン城 chateau de Villebonにて1641年、82歳の生涯に幕を閉じました。

およそ4世紀にわたり、シュリー・シュル・ロワール城はシュリー公の一族の手中にありました。

1928年に歴史遺産指定を受けた当城は1962年以降、ロワレ県の所有となっています。